車は東松島市から、石巻市へ車は沿岸を走行。石巻市の市境にある運河をわたる橋のところで、
A様からここで息子さんが、被災された時のお話を聞かせていただきました。
地震直後に、御両親と連絡が取れなくなり御両親の御自宅に向かう途中、ここで津波にのみ込まれ車に乗車したまま500mも流されたそうです。
たまたま、車が浅瀬に流れ着き、間一髪で車から脱出に成功、生還を果たすことが出来たとのこと。
当時ここで、多くの人々が車に流され亡くなったそうです。
数日後A様は、無事に避難所で息子さんと再会を果たすことができたそうです。
川を渡って石巻市内に入ります。沿岸の港湾地域では水産関係の倉庫や建物も目に付くようになりますが、南浜町の辺りまで来ると一面の草原です。
道を左手に回ると「がんばろう石巻」の看板のある広場があります。
草原の遠くの先に、1件だけ洒落た住宅がぽつんと1軒だけ見ることができます。既に住む人もいなくなりそのままの状態で時が止まっています。
私が、初めて訪れた2年前と半年前の6月から、このあたりの光景は変わらないように見えます。
程なくして、万石浦に近いA様宅に到着です。A様のお宅は、海岸から200mほどの場所で、2年前に訪れた時と比べると徐々に家が建ち始め、避難先から
戻ってこられる人が出始めたそうです。
A様は、震災後1年で、復興ボランティアの青年たちとお宅を修復、地域に先駆けて一番に地元に帰ってこられた方です。
今でも、当時のボランティアのメンバーがA様宅を訪れ美容師の奥様は、ご主人の運転する車で、避難所へ髪き切りのボランティアをされたそうです。
早速、仏壇の開閉器の状態を見ることにします。扉が閉まったときにガタガタ音がするということですが、今日のところは症状が出ていません。
念のため、あらかじめ送っておいた新しい開閉器に交換させていただき、配線や扉の立などをチェック、蝶番に注油をして作業終了です。
その後、奥様がもったなくも昼食の用意をしていただいておりまして
地のおいしい魚や手作りの漬物など、大変美味しくいただきました。甥御さまが、今月の聖教新聞「名字の言」で紹介されたこと
夕方、惜しい気持ちでA様宅をお邪魔しました。ご主人に石巻駅まで送っていただき、再開をお約束してご主人の車を見送らせていただきました。
その後、バスで仙台まで戻り、夜9時半初の名古屋行きの深夜高速バスで現地を出発、翌日の午前7時前に名古屋の栄に帰着しました。
A様、そしてご主人様、大変お世話なりました。
今回お邪魔した、東松島と石巻の皆さまの御健康とご多幸をお祈り申し上げます。